ガイア理論からみる生き方へのリスク対処法

ガイアとは何かご存じでしょうか?古代ギリシャ神話に登場する女神のことで、カオスの子として生まれ、大地の象徴、地母神、そして天をも内包した世界そのものとして崇められてきました。なぜ、この女神たるガイアの話になるか、以下に述べてまいります。

西洋は事あるごとに理論を形成し、その理論に当てはまらないモノは異論として排斥する傾向にありました。理論と理論のぶつかり合い、大勢を占める方の論が正道として罷り通る、そのような傾向にありました。ニュートンの法則、熱力学第一の法則、所謂すべて理論先行でこれらをベースにテクノロジーが大いに発展し、世の中の利便性向上に貢献してきたことは間違いのない事実です。しかしながら、原子力技術が開発されると、意図しない兵器に活用しようという目が向けられ、残忍な広島、長崎への原爆投下という事態になったことは周知の事実です。将又戦争の抑止力としての居丈高を競う道具として利用されている事態になっている現在も、正常な利用方法とは言い難いものです。本来、人類の発展に寄与するテクノロジーからすると、大いなる矛盾です。そもそも人が良かれと構築してきた理論がなぜ、予期せぬ方向に導かれるように利用されるのでしょうか。

我々社会生活でも同じです。この人はなぜ、私の言うことをわかってくれないのか?自己都合でしか物事を見ないのはなぜなのか?憤りを感じながらも時として理解不能な事象に陥り、我々の心情を追い込んでしまうことは多々存在します。

しかしながら、それが世の中です。矛盾が存在してはじめて世の中です。言い方を変えるならば、矛盾が問題点です。その矛盾を解決するために課題としてテーマ設定を行ない、解決に導いていく諸活動を繰り返すことで、文明・文化は発展してきました。

一方で、理屈が通らないことが多い中、その決定要因には何らしか意図せぬ大きな偉大なる力が働いているのではないか?このような疑問が出てくることと思います。

時として人は地球・自然を容器として捉え、操縦可能な機械のごとく捉えてきました。ここに捉え方によっては人の傲慢さという部分が垣間見られるところです。

しかし、物事はすべて理論だけでは片付かないことがようやく科学者の間でも俄かに認められるようになり、大いなる観点で物事を捉えようという動きが出てきました。

ガイア理論とは、数多の人たちが構築してきた理論だけでは解決できない、目に見えない何か偉大なる力が働いている、そういう時に使われる言葉です。地球そのものが一つの命を持った生命体であるかの如く息づいている、とジェームス・ラブロックは述べています。人間の身体は37兆個の細胞から成り立っていますので、これら細胞一つひとつが命を持っていることから考えると、37兆個の集合体が一つの生命体を形成していることになります。これと解釈を同じくした場合、地球も数多くの動植物が一体となって、それぞれの持ち分、役割を果たしながら日々懸命に生命活動を維持しています。これを人間と地球の中間レベルに落とし込んだ時、会社、学校、家庭といった集団組織にあてはめてみた場合、どうでしょう?経営理念通り順風満帆な会社、教育理念に則った至極真っ当な学校、円満な家庭、とプラス要素が盛り込まれた集団組織であれば、ある意味、これらの集団組織が一つの生命体として機能していると見做せないでしょうか。法人という言葉があるように。

大きくは地球という生命体が永らえるために、我々一人ひとりがどのように振舞えばよいか?それが地球にとって理に適っていればうまくいく、そうでなければ違う手立てを考えなければならない。決してそれは人間が判断できる範疇ではなく、地球という大きな生命体(自然と言い換えても良いかもしれません)が最適な判断をして結論を下すということでしょう。

ヒトも73兆個もの細胞に一つひとつ脳から意識して指令を出しているわけではなく、自立的に良かれと機能しています。その相似形を地球にあてはめたとき、地球もあらゆる動植物に対して指示を与えて活動させているのではありません。自立的に動いているのです。であれば、ヒトと地球の中間にある集団の境界である国、会社、学校、家庭なども経年での歴史が培ってきていることからも、自立的に良かれと今に至って存在しているはずです。しかし、大抵の場合、そうはなっていない、それが矛盾ということです。何故矛盾が起こるか?人間の作った、解明した理論にあてはめて物事を解釈するからです。しかし、この矛盾があるから人には発展がある。一方で、矛盾を解決してしまうと進歩が止まってしまう。ここのジレンマこそが生きている価値であり、地球、自然が良かれと判断する軸に従うということではないでしょうか。

近年では個が大事と叫ばれ、如何に主体的に生きるか、と意味形成されています。個が異なる個と寄り添い、その中で誰彼となく目に見えない力で居心地の良さを感じ、自然発生的に境界が出来上がり、新たな集団組織ができる、これが理想形です。しかし、今置かれた環境下、自分に合った適材適所の個(組織)を探し、属することがどれほどの試行錯誤を産むか。それよりも、自分を押し殺して安定(楽)を望む、そういう割り切りの人生を歩む人がどれほど多いことでしょう。ここのジレンマを一人ひとり、迫り来るポストコロナの変化の激しい時流の中で、地球という生命体の中でどのような役割を担っていくか、一人ひとりが冷静に人生上のリスクを考える時代に来ているのではと感じざるを得ません。