千里馬を阻む風見鶏派が及ぼすリスクとその対策

皆さん、“千里馬”という言葉を聞かれたことはあるでしょうか?

「千里の馬は常にあれども、
伯楽(はくらく)は常にはあらず。」

一日に千里を駆け抜ける非常に秀でた能力を持つ馬がその昔、いました。しかし、ただ厩舎に繋がれ、ただの奴隷人の手によって粗末に扱われ、ほかの駄馬と一緒に首を並べて死んでいく。その馬の能力に気づくモノは誰一人現れず、一生を終えてしまうという、故事由来の言葉です。

この千里馬は現代社会には数多あるはずです。一般的な人とは違う能力を持った人、革新的な技術、既存技術を組み合わせた新たなアイディア等、我々の知らないところに相当数埋もれています。なぜ、彼ら(それら)が表に出てこないのでしょうか。

(ここでは“千里馬”は人に限らず、人が創造し、構築されたモノや技術、サービス、アイディア等全般を指しています。)

北野唯我氏著のセラー本「天才を殺す凡人」に千里馬を想起させる記載がありました。

この本の定義によれば、天才は創造性に優れ、秀才は再現性に優れ、凡人は共感性に優れる、とされています。人はどれかに当てはまるとなったとき、多数派を構成する人は、共感性に優れた“凡人”ということになります。

この凡人は創造性を発揮する天才のことを理解できず、排斥するとあります。その結果、天才たる人はコミュニケーション断絶となり、ここでいう名伯楽に発見されない千里馬の状態となります。

大多数を占める凡人は、秀才の優れる再現性に優れた側に大いに共感する傾向が強い、ということになります。要は1からNを作る、ということを得意とする秀才は事業拡大には最適であり、大多数の凡人はここに靡いてしまう、ということも容易に頷けます。

ゼロから一を作る創造性を発揮する天才(千里馬)の内容については、世にないことでもあり、簡単に理解できない状況から、支持派は非常に少ない状況となることが考えられます。

しかし、ビジネス上の支持は絶対数から考え、凡人の数が圧倒的となります。凡人を味方につけることが出来れば無敵です。

凡人を千里馬の存在に向かせる風を吹かせるために、凡人(風見鶏派)の絶対支持を受ける人間関係に長けた人(インフルエンサー)を味方につける必要があります。この人の言うことなら、絶対間違いない、という信頼関係を持ったネットワークを持った人のことです。人間的魅力も当然あるでしょうが、ある分野で実績を積み重ねてきた人には、このような方が多く存在します。

人にはそれぞれ、これまでの経験値や生きてきた環境から凡人割合、天才割合、秀才割合、それぞれが存在しています。そこにその人の歩んできた人生の結果で、結果が積み重なって今のその人を形成しています。

千里馬とインフルエンサーとの間で、どれだけ太い架け橋を渡しあえるか、ここが構築されたモノや技術、サービス、アイディア等が世に出ていくための大きなヒントが隠されています。

画期的なモノや技術、サービス、アイディア等を実際に構築した人が、その成果に酔いしれ過ぎてしまうことも非常に大きなリスクを伴います。自己都合主義が、聞く耳を持たない傲慢さを産み、せっかく認められた画期的なモノや技術、サービス、アイディア等の信用が奈落の底に落ちてしまうことも多々、存在します。

天賦の才たる千里馬、それを扱う伯楽が伯楽であり続けられるか?ここも大きな事業継続(BC)のポイントになってきます。

皆さんにとっての千里馬とは何でしょうか?千里馬を活かすも殺すも人の心がけ次第。皆さんの身の回りにある“千里馬”を見つけ出し、どのような扱いとなっているか、じっくり見つめてみることで何かしらの気づきを得ることが出来るかもしれません。