優等生たることへのリスク

優等生というと、皆さんはどういうイメージを持たれるでしょうか?

学校で勉強ができ、まじめ且つ素直で、成績はオール5という輝かしい成績を持った子供時代の生徒を想い出すでしょう。どこの学校にもこのような生徒は一人、二人居たものです。

しかし、この優等生という単語を分解すると、優れて等しい生徒、とも解釈できます。なぜ、“等しい”という漢字が入っているのでしょうか。子供時分は天才、秀才と持てはやされた生徒のことを優等生という表現と同一視し、あまり深く考えずに使っていたことでしょう。

この優等生という言葉を大人の世界にあてはめた場合、どうなるでしょうか。まず、“優れた”という意味の解釈が重要です。どういうことが優れている基準になるのでしょうか?ここで重要な点は、子供のころのようにクラスで能力が抜きん出た生徒のことを指すのではないことは既におわかりでしょうか。すなわち、大人の世界、しかも日本において“優れた”という基準は、横並びできっちり目の前の仕事を着々とこなすことが“優れた”という基準になります。かつ、“優等”となると、前記の意味に等しくが付加されますので、“優れて等しく”という意味になります。

つまり、優れて平等な人のこと、すなわち平均点を目指すことが優等生の定義になってしまっています。金太郎飴という飴の如く、どこを切っても同じ顔である金太郎飴人材こそ優等生の定義となります。

戦後から高度経済成長期にかけ、国はどんどん人材を地方から都会へ送り込み、集まった人材はここでいう“優等生”に仕立て上げられ、労働者として国益を支えました。この発展なくして今の日本は存在しません。しかし、時代は変わりました。

90年代に入り、バブル崩壊以降、売り上げが伸びない時期の新たな評価指標として、管理社会が強化され、評価の対象はきっちりマニュアルに則った、アウトローなことをしない人が評価される時代に遷移していきます。様々な規制が強化される環境下で如何にうまく立ち居振る舞いできるかが高評価の秘訣となっていきます。ここで優等生の“優等”は目立つことをせず、安穏に仕事人生を全うできれば良い、出世は二の次と考える人の比重が多くなってきました。

2020年現在、団塊世代が一線を退き、新たにバブル世代が40代後半から50代を占めるようになってきました。要は最後の美味しいところを知っている人たちが組織の上層部を占めるようになってきたのです。自分たちが組織の実権を掌握していると、美しい誤解をした人たちが組織の上層部を占めることで何が起きるでしょうか?若手社員を中心としたやる気の減退、高離職率に繋がっていきます。

過去も今も優等生に共通して言えることは、発想力に乏しいことです。今この時を良しとし、目の前のことを着々とこなし、定年まで平穏に勤め上げれば何も言うことがない、という人生を歩んでいる人たちへ、所属する組織の未来、将又日本の未来を託せますか?

発想、アイディアはマニュアル的なことだけを範疇に物事を考えないタイプの人からは何一つ目新しいものは生まれません。なぜなら、自分の思考領域を超えた内容を創造できないからです。このような思考様式の人は、見たことのない、聞いたことのない、他で実績のない物事へのチャレンジは異端児と見なし、潰しに掛かってきます。出る杭は打つ、もしくは引き抜いてしまいます。何故でしょう?それはこういう優等生の持つ居心地の良さは“安定、変化のなさ”だからです。毎日決まりきったことを行ない、淡々と日々を過ごせる環境づくりこそ美徳と考えるポリシーを持っていることが往々にして多いからです。

世界を見渡すとそういうわけにはいきません。変化の多いご時世、変化そのものを受け入れないことには生きていけません。リスクを鑑みたとき、優等生思考回路の人たちはノーリスクこそ最高、と考えてしまいます。このような思考回路が多く巣食っている組織は、ありとあらゆるところに顔を出し、本来発展すべき機会を悉く潰しに掛かってきています。ポリティカルコネクト(ポリコレ)的な要素を引き起こしています。

コロナ渦により、時代は大きく動き始めました。変化から生まれる最高の未来を得るために、あなたも優等生からの卒業、しませんか?

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