考える読書の薦め

昨今、スマホによる電子書籍の普及に伴い、印刷による活字を目にする機会が徐々に減ってきています。私個人としてはスマホやタブレットという発光体でじっくり文面を読むことには抵抗があります。そもそも人の目は目に優しい反射光をとおして視界を得ることに慣れています。

一方で、人の解釈が様々に入り込んだ情報洪水が起きていることから、インパクトの強い見せ方をされた情報があれば、それをいとも簡単に信じ込んでしまう状況が発生しています。人間心理とは不安定なものです。

情報機器の高度化とそれに伴って氾濫する情報洪水。これらに呑み込まれ、自由な奴隷と化している現状をどの程度、お判りでしょうか。常日頃、どれだけ問題意識をもって皆さんは生活されていますか?

これまでにも繰り返し述べてきていますが、自ら主体的に考えるプロセスを身に付け、自分にとって何が真で何が偽なのかを見極められる判断能力を日々育成していく必要があります。ましてや、このような混沌とした時代に突入した中では、自分で自分の意思決定に責任を持たなければなりません。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」時代は終わりました。

何を真とするか、自分に判断軸を作るには“活きた”読書が最も手軽でお勧めです。“活きた”読書とは何か?それは、自分に気づきを与えてくれ、自分自身の心に栄養をもたらす書籍を見つけ、読むことです。その書籍に述べられている内容を自分なりに解釈し、それを自分なりの言葉や絵に落とし込んで他人に説明できる、このプロセスを繰り返し行なうことで自分なりの判断軸が出来上がっていきます。

先哲の著も然ることながら、今を懸命に生きている人の体験談や知見なども、皆さんにとっての良著となり得ます。これらの書籍を手に取ったとき、前書きや目次に2,3分で目を通し、これは自分にとって神髄となり得る内容が記載されているかを直感で感じ取ることができれば、かなりの読書通とでも言えるかもしれません。

問題意識を持つということは、現状の姿が理想からかけ離れているために発生する自覚症状です。その理想に向けてどのように手を打てば、現状の問題を解決できるか?それが課題を持つ、ということです。

ただ、ここで勘違いしてはいけません。解決策を得るために書籍を読む、というのではありません。解決策を考えるための自分に合った判断軸を得るために書籍を読む、ということです。解決策を得るために書籍を読むというのであれば、それは他人に“この課題をどう解決すればよい?”と聞き、その答えをそのまま鵜呑みにすることと何ら変わりがありません。

本の内容をどれだけ消化したか?という言い方をする人もいます。読み手自らが歯となり、胃となり、腸となる。噛み砕き、記載内容を栄養分として吸収し、決して内臓脂肪等になって無駄な栄養とならないように、日々のエネルギー源として生かし、運動する(日々の活動に本の内容を活かす)ことがここに通じます。

「読書尚友」という故事成語(孟子)があります。書物を読むことによって、古の賢人を友とする、という意味です。古の賢人でなくとも、書籍に現れる内容はいつでも手に取って振り返ることができ、いつでも自分のタイミングで会える“先生”です。直接会って会話をすることがなくとも、書籍には“先生”としての伝えたいことが散りばめられています。

今は未知数の事柄が非常に多く、世界全体がどのような方向に行くとも予想ができません。ただ、どういう変化の局面が起きたとしても、自分としての判断軸が身に付いてさえいれば、セルフリスクマネジメントは実行できます。書籍を通じて得られた気づきの蓄積、それに皆さん自身の経験値を掛け合わせることで、皆さん自身の判断軸(悟り)になっていくことでしょう。考える読書、ぜひお薦めします。

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